when truth hurts
- Keiko Yamada

- 11月25日
- 読了時間: 5分

Set Apart 聖め別つ, 2023 (愛シリーズの10枚目の作品)
ヨハネの福音書17章17節
Keiko Yamada
Acrylic Painting on Canvas
24 x 30 inch
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、
人のした悪を思わず、不正を喜ばずに、真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、
すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。
第一コリント人への手紙13章4−8前半
私が6歳か7歳の頃、友だちの間ではプレイステーションのゲームが大人気でした(80年代に育った人は分かるかもしれません)。私は持っていなかったので、よく友だちの家に入り浸って何時間も遊び、夢中になっていました。
当時、私は「6時までに帰宅」という門限がありました。でもある日、ゲームがあまりにも楽しすぎて、気づいたら大幅に過ぎていました。
罪悪感いっぱいの中、私はいいアイディアを思いつきました。
「そうだ、時計の針を6時に戻して“まだ6時だよ”って言えばいいじゃん!」
本気で母が信じてくれると思っていました。
家に帰ると、案の定、母はとても怒っていました。「こら!6時までに帰ってこないとダメよと言ったでしょ!今何時だと思ってるの!心配したじゃない!!」
そこで私は得意げに“作戦”を披露しました。時計を差し出して、
「変だなぁ、私の時計はまだ6時だよ」
……どうなったかは、言うまでもありません。母は激怒しました。当然です。
こんな感じで、それでも、自分の都合のゆえに、嘘をついたり、偽りを言ったりしてしまうのが私たちではないでしょうか。
しかし 聖書の第一コリントへの手紙13章6節にはこうあります。「愛は不正を喜ばず、真理を喜びます。」これはどんな愛なのでしょうか。
今回の作品は、その問いをめぐって私が思索した結果生まれたものです。

📖 PAUSE & REFLECT(愛を定義する)
「愛は不正を喜ばず、真理を喜ぶ」とは、どういう意味だと思いますか?そのような愛を持っている人はどんな人だと思いますか。歴史上・聖書の登場人物・実際の人など、思い浮かぶ例はありますか?
🌱🌱🌱
問題だらけのコリント教会
「愛は不正を喜ばず、真理を喜ぶ」と書かれている第一コリント人への手紙、あらゆる問題が渦巻いていたコリント教会に宛てて書かれました。クリスチャンと名乗りながら、未信者でも恐れて避ける罪を誇る者たち、聖餐で人を見下したり、酔って参加する者たちすらいたのです。
もし私たちなら、「コリント教会の人たちは私たちにとって恥だ。これでクリスチャンの評判がますます悪くなってしまうじゃないか。」と言いたくなるかもしれません。
しかしパウロはそう言いませんでした。
彼はコリント教会の人たちに直接真実を語りました。それは、彼が不正ではなく真理を喜んだからです。何が間違っているのかを明確にし、真理へ、そして主と互いへの愛へと導いたのです。
📖 PAUSE & REFLECT(真実を語るジレンマ)
見た目の良さや自分の都合のために、真実を語ることよりも「どう見られるか」を優先してしまうことはありますか?真実を語ることを妨げているものは何でしょうか?「愛をもって」語るとは、どんな姿でしょうか?
🌱🌱🌱
真理によって精錬されるもの
このことを思い巡らす中で、私は ヨハネの福音書17章17節 のイエス・キリストの言葉を思い出しました。
彼らを真理によって聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。
ヨハネの福音書17章17節
神のことばは変わらず、力を失いません。世代を超えて、私たちの心の実態を照らし続けています。
その聖書の言葉によって隠れた自分の傲慢さや自己欺瞞があらわにされるとき、決して心地よいものではありません。
誰だって「いい人」でいたいものですし、「私はもっとマシな人間かと思っていた。。」と思う時もあるでしょう。聖書の言葉によって、自己中心さが露わになり、「神様のことなんて忘れて自分のことしか考えていなかった」と気付かされる時、落ち込んでしまう時もあるかもしれません。
でも、それこそが「本当の私」であり、キリストが十字架で命を捧げてくださった対象なのです。
ありのままの自分を見ることは、同時に神の愛の深さと、キリストが成し遂げてくださったことの大きさを知ることでもあります。
真の愛を深く受け取るためには、その愛を受け取っている”自分の本当の姿”、神が見ておられる現実を受け止める必要があるのです。
キリストが私たちのうちで精錬しようとしているのは、火で金が精錬され、本来の美しさを現すような働きです。そして私たちが、長く残る実を結ぶためです。
この作品は、神の言葉(真理)によって清められ、火で精錬されるぶどうの木を表しています。
真理にとどまるとき、真理によって聖め別たれる時に私たちはますます永遠に朽ちることのないものを自分のものにしていくことができるのです。

📖 PAUSE & REFLECT(真理は私たちを良くするために働く)
神はすべてをご存じで、その状態のままの私たちのために十字架で死んでくださったのに、私たちはなぜ自分の真の姿を受け入れることに抵抗するのでしょうか?
🌱🌱🌱
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。^^




コメント