心の中の屋根 〜愛が覆うもの〜
- Keiko Yamada
- 7月23日
- 読了時間: 4分

In Whom I Trust, 2023 (愛のシリーズ11枚目の作品)
Keiko Yamada
アクリル画
48 x 30 inch
「三匹の子ぶた」の童話を知っている方は多いかと思います。レンガの家を建てた末っ子が、オオカミの襲撃にも耐えたというお話です。でも、日本のように地震が多い国では事情が違います。実は一番軽い「わらの家」の方が安全とも言われています。つまり、「どんな家が一番良いのか」は、文化や環境によって変わるのです。
私たちの心の中にも、目には見えない「家」を建てています。
順調なときは頑丈に見えるその家も、嵐のような問題が起こったとき、突然不安定になることがあります。人間関係、病、経済的な不安…。そんなとき、私たちに本当に必要なのは、状況を変える力ではなく、「心を覆ってくれる屋根」のような愛ではないでしょうか。
(愛は)すべてをがまんし。。(第一コリントへの手紙13章7節)
聖書が語る「愛はすべてをがまんし(stēgō)」という言葉には、「屋根で覆う」「保護する」という深い意味が込められています。
この愛を体現した人物が、新約聖書に登場するヨセフです。
ヨセフはマリアと婚約関係にありました。しかし彼は、マリアがあたかも他の男性と関係を持ち、妊娠したかのように見えるという、極めて困難な状況に直面します。当時の社会では、結婚前の妊娠は恥ずべき行為とみなされ、それに対する処罰も存在していました。
「私と婚約中に他の男性と関係を持つとは!」と、ヨセフが彼女を公に責めたり、罰を求めたりすることは十分に可能だった時代です。しかし、彼はそのような道を選ばず、あえてマリアを公の恥や処罰から守り(stēgō)、ひそかに縁を切ろうと考えていました。
そんなヨセフに対し、神は天使を送りました。天使は、マリアが聖霊によって身ごもったこと、そしてそれが聖書の預言の成就であることを告げ、ヨセフに、「恐れないでマリアを迎えなさい」と語りかけました。神は、ヨセフとマリアを守られた(stēgō)のです。
このような過程を経て、イエス・キリストが生まれました。処女から生まれるということは、確かに信じがたい出来事です。しかし、聖書は数百年前から「救い主は処女から生まれる」(イザヤ書7章14節)と預言しており、それはキリストによって確かに成就したのです。神ご自身が人となられて生まれ、私たちの「恥」「恐れ」「弱さ」を覆ってくださる方となってくださいました。
イエス・キリストこそ、私たちの「心の屋根」です。
嵐の中でも、そこに留まる者に平安を与える覆いです。この愛は、私たち自身のためだけでなく、他の人をも覆うために与えられています。 誰かが打ちひしがれているとき、私たちはその人にとって「小さな屋根」となれるかもしれません。沈黙でそっと寄り添うこと、励ましの言葉、祈り…それらは神の愛を映し出す屋根となります。
今日の絵画「In Whom I Trust(我信頼する方に)」は、ある方から詩篇91篇を元に絵を描いてほしいという依頼を受けたことをきっかけに生まれた作品です。今日は、皆さんと一緒に、特に詩篇91篇2節を宣言したいと思います。
「私は主に申し上げよう。『わが避け所、わが砦、私の信頼する私の神』と。」
詩篇91篇2節(新改訳2017)

作品の背景は、左に黒、中央に黄色、右に青で構成されています。それぞれの色は、私たちの一日を形づくる朝・昼・夜を象徴しています。朝であれ、昼であれ、夜であれ、私たちは主の翼の下にとどまることができます。なぜなら、主こそが私たちの避け所であり、砦だからです。
詩篇91篇4節にもあるように、「翼」はしばしば神の守りを象徴します。鳥がひなを守るように、神はご自身の翼の下に私たちを守ってくださいます。その翼のもとには、今日を生きるための命の水、知恵、力が永遠に湧き出ています。まさにそれが、神が約束してくださったことです。
今週も、揺るがない屋根であるイエス様のもと、感謝と信頼をもって歩んでみませんか。そして、誰かのための「屋根」となれるように祈り続けてみませんか。
黙想:
1 今日、私たちは誰にとって「小さな屋根」となれるでしょうか?
2 詩篇91篇に基づいて、誰かのために祈ってみませんか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
山田
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