見えないと信じない?
- Keiko Yamada

- 6 日前
- 読了時間: 4分

I in you and you in I, 2024 (5th painting of Pursuing Love Series)
Artwork inspired by John 14:11a
Keiko Yamada
Acrylic Painting on Canvas
16 x 20 inch
知って初めて見えるもの
あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。
しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。
ヨハネの福音書14章 7節
イエスキリストは弟子たちにこの言葉を語られ、わたし(キリスト)を見たものはすでに父(神)を見たのだと宣言されました。物事を慎重に、論理的に考える人ほどこの言葉は混乱を招くかもしれません。
弟子の一人ピリポは、その思いを正直に、そして論理的に口にします。
「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」
ヨハネの福音書14章8節後半
言い換えれば、「イエス様、私の目にはあなたしか映っていません。「父」の姿は見えません。納得がいかないので、どうか父を見せてください」とうことです。
イエスは怒ることなく、真理をもって、やさしく答えられます。
わたしを見た者は、父を見たのです。
ヨハネの福音書14章9節
ここでイエスは、問題は“証拠が足りないこと”ではなく、“イエスを本当の意味で知らなかったこと”だと示されます。
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ピリポは実際的な人でした。五千人の給食の奇跡の前にも、彼は費用を計算し、パンを買うにはお金が足りないと結論づけました(参考:ヨハネの福音書6章)。
その考えは正しかったのです。
しかし、その論理の中には「イエスがどなたであるか」という視点がありませんでした。
それでもイエスは、五つのパンと二匹の魚を用いて、すべての人を満腹にされました。
神は、私たちの「納得できる範囲」に制限されるお方ではありません。神はしばしば、私たちの論理を超えて働かれます。それは私たちを恥じさせるためではなく、より深い信頼へと招くためなのです。
📖 立ち止まって考えてみませんか(合理的な考えを吹き飛ばす神)
今日、あなたを説得しているのは状況でしょうか。それともイエスの御言葉でしょうか。
もしイエスの言葉は信頼するに値しないとすでに結論付けてしまっているならば、それはなぜですか。
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信じて初めて見えるもの
わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。
さもなければ、わざによって信じなさい。
ヨハネの福音書14章11節
ピリポは、信じる前に「父を見たい」と願いました。しかしイエスは、見ることから知ることへ、そして知ることから信じることへと、彼の目を向け直されます。

今日のこの絵画は、まさにこのヨハネ14章11節から着想を得ています。 鮮やかなオレンジ色は、あふれる命を表しています。キリストを象徴する木の内にも外にも命が満ちている――それは、キリストが父のうちにおられ、父がキリストのうちにおられるという真理を表現しています。
盲目的に信じろ、とイエス様が厳しく言っておられるのではありません。
信じないと決めつける前に、わたしが誰であるかを自分でよく知りなさい、と私たちを招いておられるのです。神様や聖書にすべてを理解できなくても、「わたしが誰であるか」に基づいて信じるように招いておられるのです。私たちを、そして大自然さえも創造された神様は確かに聖書、大自然の中でご自分を明らかにされています。その言葉を信じることによって、自分の理性や分析だけでは見えないものが見えてきます。
私たちの「納得いかない」ことは本来神に背を向けさせるものではなく、神に向かわせるものです。今の正直な思いを祈ってみませんか。
📖. 祈り: 主イエス様。私たちに論理的に考える力を与えてくださったことを感謝します。心を尽くすだけでなく、思いを尽くしてあなたを愛することができるようにしてください。与えられた知性を大切に用いながら、あなたがどのようなお方であるかをますます深く知り、全身全霊であなたを信頼する者とならせてください。イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン。
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読んでくださりありがとうございます!God bless you!




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