コテコテ関西弁トーク第4回 (2001年リバイバル新聞に連載)
上野五男牧師
ゴスペル演歌の名曲「神は愛です」を歌い始めたら、フラフラしながら近寄ってきた酔っぱらいのおっちゃんの話の続きや。
おいおい、おっちゃん大丈夫かいな。
こけたらあかんで。
地べたに座り込んでいる大勢の人らは、どうなるのかじっと見てるわな。
宣伝カーの拡声器を通して歌っているので、道行く人も振り返って見ていくで。「酔っぱらいおじさん」の登場は、ここらではようあるんやろな。榮先生や他のスタッフは見守ってくれてるだけや。このおっちゃん、なんか言うてるんやけど、ろれつがまわらんので何を言うてんのかようわからん。
「そんな歌、歌うのやめんかい!」なのか「そんな歌、もっと歌わんかい!」なのかわからへん。
そんなときは、演歌牧師はすぐにええ方に解釈するんやな。そして、
「愛はァいのちィ、愛はァ真理ィ、愛はァすゥゥべーてェ、こころォ閉ざすゥ人の罪を赦ゥされるゥゥ」

とこぶしをいっぱいきかせて歌い続けたら、そのおっちゃん、ブツブツ言いながら今度は演歌牧師の肩をたたき始めるやないか。
酒臭い臭いがプーンとしてくる。
「ちょっと痛いやんか。おっちゃん。なにすんねん。そんなことしたら歌われへんやんか」と心で叫んだで。
これも、「励ましてくれてんねやろ、おっちゃんも一緒に歌いたいのかいな」とええように解釈して、こんどは、おっちゃんの肩を抱いて一緒に歌おうとした。このスキンシップがよかったんやろか、なおも意味不明のことばを連発してたけど、言いたいことを言うたら安心したみたいや。
顔つきもだいぶ穏やかになってきた。
最後は握手をして笑顔でお別れや。
ゴスペル演歌コンサートで歌いながらお客さんと握手をするのは、演歌牧師の得意技やからな。ほんまは、歌をやめて話を聞いてあげたらもっとよかったんやけど、こっちも仕事中やったしな。こんど、しらふの時、おっちゃんの話聞くさかいな。
かんにんやで。
実は、その昔、演歌牧師の若い頃、えらいビンボーで、釜が崎で肉体労働のアルバイトしたことがあるねん。そのとき、いろんなおっちゃんの話を聞いたもんや。日雇い労務者のこと、「人生の敗北者」などといろいろと批判する人もおるけど、
彼らには絶対福音が必要やと思う。
イエス様は「すべてつくられた者に福音を伝えなさい」と言わはったしな。
実際、救霊会館の働きを通して救われて、今度は福音のために働いている人が何人もいたはるねん。その中の一人のおじさんがな、演歌牧師が釜が崎へ行ったとき、ゴスペル演歌をラジカセで流しながら看板もって路傍案内したはった。福音には人を変える力があるんやなと思って感動したで。
この後や、宣伝カーは、ちょっと異様で何やらえらいなまめかしい街へ突っ込んでいったんや。
化粧した綺麗な姉ちゃんがいっぱいおるとこやねん。
エエッ、こんなとこへも伝道へいくんかいな。
ここはもしかしたら、うわさに聞いたあの街かいな。
そんなとこで、演歌を歌うんかいな、
こら、ほんま、なんぎやで。
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