top of page
執筆者の写真Itsuo Ueno

神に信頼して生きる

私は、1988年にアメリカの神学校を卒業しました。神学校に在学中からアメリカの日本人伝道の導きを受けたので、卒業後はどのような形の奉仕ができるのか祈っていました。在学中から家庭集会をしていたこともあって、そのままアメリカで単立の開拓教会としてやっていくように導かれました。もちろん、自分で働きながらの牧会伝道です。補習校の教師や家庭教師などをしながら頑張りました。ところが、1990年の4月から安定した収入の道が閉ざされるようになってしまいました。すでに結婚していて小さな子供が二人いましたので、どうすればいいのかとパニックになってしまいました。



妻は「とにかく祈って神を信頼しよう」と言って一緒に祈りましたが、祈っていても平安はなくみじめになるばかりでした。祈っていると情けなくなり涙が出てきました。神学校で苦しい学びをして神学修士の学位を得たものの、信仰がなければそんなものはなんの役にも立ちません。逆に神学校へ行ったこともない妻から「神様を信頼すれば大丈夫よ」と慰められる始末。


しかし、私の心は「現実には一家の長として頑張って仕事をしてお金を稼がなければ家族は生活できないではないか」という思いがいっぱいでした。臨時の仕事をしながらなんとか毎月凌いでいました。生活が苦しいので、できるだけ出費を抑えようと考えて保険代の見直しをしました。当時加入していた健康保険の中にあった「妊娠、出産時の時にカバーする」という項目をはずすことにしました。この項目をはずすと毎月の支払いがグッと安くなるからです。もう、子供もすでに2人与えられていたので必要ないと判断したのです。保険会社に電話して、毎月の支払いが安くなったと喜んだのもつかの間、しばらくして妻が妊娠したことがわかりました。ところが妊娠してからは加入できないのです。「なんでこんなことになるんだ」という考えが頭をよぎりました。二人の子供は帝王切開で産まれました。アメリカで帝王切開の費用は、およそ1万5千ドル(当時の為替レートで換算すると200万円弱)ほどでした。とても払える額ではなかったのですが、保険に入っていたので産むことができたのです。


ところが、今回は絶体絶命のピンチです。


出産予定日は11月の中頃。あと6ヶ月後には1万5千ドルを払わなければなりません。半年ほどの間にその費用をつくるには、毎月の生活費を別にして2500ドルずつ余分に稼がなければなりません。これは私がどんなに頑張っても無理です。もう、神様に頼むしかないというところに追い込まれました。まさに、苦しいときの神頼み。「主よ、なんとかして下さい」と祈っていると、夏頃に銀行から一通の手紙がきました。なんと、中には「2万ドルを貸してあげます」と書いてあったのです。「なんでやねん?」と思ってよく読んでみると、エクイティーローンでした。結婚したとき、古い家をローンで買ったのが、不動産価格の上昇に伴いその家も値段が上がったので、その差額があるから貸してあげようということだったのです。すぐに妻と銀行へ行ってサインをして2万ドルを借りました。これで出産費用ができたと喜びました。


が、話はそれで終わりません。


その古い家が雨漏りしだしたのです。屋根屋さんに修理してもらっても、次に雨が降るとまた別のところから雨漏りがしました。何回が繰り返して、もう売ろうと決めました。正直に「雨漏りがして、何回が修理しました」と不動産業者に言いました。当時は売り手市場で、マーケットに出すとすぐに買い手がつきました。不動産価格が上昇していたこともあって、7年前に9万ドル弱で買った家が、16万ドルほどで売れたのです。これで銀行から借りた2万ドルも返せました。3人目の子供も元気に産まれました。更に、残りのお金を頭金にして、少し郊外にある新しく大きな家を買うことができたのです。このことは私に、自分の力で頑張ってやるのではなく、神に信頼して生きるときに祝福が与えられるということを教えてくれました。



上野五男

ぶどうの木国際教会牧師





閲覧数:13回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comentários


bottom of page