コテコテ関西弁トーク第1回 (2001年リバイバル新聞に連載)
上野五男牧師
今回は、演歌牧師登場の第一回や。
そやから、ゴスペル演歌を歌い始めた頃の可哀想(?)な苦労話をするからみんな聞いてや。
その頃はな、もう、いろんな人からいろんなことを言われたもんや。
「へたくそやな」
「よー、そんな歌、人前で歌えるな」から始まって、
「演歌って聞いたら、すぐに酒、叶わぬ恋、不倫なんかのイメージがわくやないか。いってみれば飲み屋の歌や。そんなもん、牧師が歌ってえーんか」とか、
「そんな歌、教会で受け入れられるわけあるかいな」
などなど。
巡回伝道先を紹介してもらった著名な先生からは
「行く教会で、演歌だけは絶対に歌わんように!」
とクギをさされたことも。
夏のキャンプでメッセージを頼まれて、事前に許可をもらって歌ったんや。
そしたらな、後で主催者のえらい人に呼ばれて
「あんな歌、この集会には合わないから歌うな」
ときついおとがめを受けたこともあるねん。
<歌ってもええと言うたやんか。おたくも、前に聴いて知ってるやんか>なんて言いたいのをぐっとがまんしてな、
「すんまへん。気をつけますわ」。
でもな、批判してくれはる人には感謝せなアカンと思うてんねん。
忙しいのに、こんな者に関心をもって言うてくれはるんやから。
最初の頃はな、こちらが真剣に歌い始めると、ゲラゲラと笑い出す人たちもよーけ、いたはってな。中にはイントロを聴いただけで吹き出す人も。<漫才すんのとちゃうで!なんで笑うねん?>とこっちは思うわな。
きっと、教会で演歌を歌うということがあまりにもミスマッチやったんで笑うてしもうたんやろな。
優しいクリスチャンの人は、直接、口には出さらへんねん。
そやけど、顔を見たら「演歌なんて··」という気持ちが読みとれるんやな。このように、いろいろとご丁寧なご高説(?)やご批判をいただくと、いたって繊細な(?)演歌牧師は、落ち込んでしまって、「もうやめたろか」と思ったことも何度、あったかわからへんねん。
そやけど、ここで負けたらアカン。
祈ったで。
世の中、批判する人、ばっかりやあらへん。励ましてくれはる人もいたんや。
そんな人たちのおかげでな、立ち直って歌い続けたんや。
次回は、ゴスペル演歌にまつわるおもろいエピソードを紹介するで。ほな。
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